「もう少しだ」
 遠かった塔が、だんだんと大きく見えてきた。
「カーズ、皆に伝えてくれ。俺達が先に行くから、ゆっくり来ていい、と」
 そう言うと、ゼスはイズミルを連れて走りだした。
 カーズは急いで後ろに伝えて行くと、自分もさっさと行ってしまった。

「どうしたんじゃい」
 そろそろ息が切れて来た頃に、ゼス達の姿を見つけた。
「扉が開かないんだ」
 横では、イズミルが押したり引いたり、ズラしたり殴ってみたり、と色々試していた。
「ふむ…」
 カーズは考えるように手を顎に触れさせると、ゆっくりと扉に近づいた。
 指先を、扉に触れると、一歩、退いた。
「ダメだな、登るか?」
「どうして判る」
「勘だ。わし達には開けられんよ」
 ふう、と溜め息のようなものが漏れる。
「どうするか… 登るって言っても…」
 ゼスは、真直ぐに伸びる壁を見上げる。
「あっ…」
 不意に、イズミルが声を上げた。
「今、ガシャンって…」
 そうイズミルが言うと、扉は勝手ひ開き始めた。
 扉が完全に開ききるのと同時に、風を切る音がした。
「危ない!」
 真直ぐに、刃が飛んで来た。
 恐る恐る中を覗き込むと、フラフラと危なっかしくバランス感の無い人陰が、動いている。
「人か…!」
 腿に巻き付けてある銃を取り構え、中の様子を伺った。
「光を入れるわ」
 片手に浮く小さな炎を、中に投げ込む。
 小さな光がたちまち広がって、暗闇を消し去った。
 一瞬だったが、よく分かった。
 網膜に焼きつけるように、目を閉じた。
「死人じゃな」
「……ああ」
 支えられない頭の重さにバランスを崩しながらも、ゆっくりと歩いている、死人。
「イズミル、光を頼む… 突っ切るぞ!」
 それを合図に、三人は勢い良く乗り込んだ。

 息を切らしながら長い時間をかけて扉の前へ来た時には、全開に開いた扉だけが、ぽっかりと口を開けていた。
 吸い込まれそうな闇に、男達は躊躇った。
 入るのを拒んでいると、ギシ、ギシと鈍い音が辺りに広がり始めた。
「何だ?」
 一人の男が、呟く。
「中だ。中から音がする」
 屈強な男が、闇を指差した。
「行くか?」
 帽子を深くかぶった男は、構える。
「…待て」
 それを、革の服を着た男が制した。
「何か、出てくる」
 フラフラと、まるで酔っぱらったかのように頼り無い足取りで一歩一歩出てくる。
 足が、見えた。片方は、ボロボロの靴をはいていて、片方は裸足だ。
「人か?」
 だらりと垂れた手が見えた。色は、まるで痣だらけのように、紫色をしている。
 顔が… 覗いた。
 その瞬間に、風を切って何かが飛んで来た。
 何が出てくるかという不安が、警戒心を解いていた。
 草むらから首は出て、身を乗り出していた。
 それがいけなかった。一瞬の行動が、遅れた。
 鎌のような形をした刃が、その男の首を裂いた。
 そのまま、刃は数人の手足を傷つけながら、森に消えた。
 また、続けて飛んでくる。
 短い悲鳴が響いていた森は、何時しか静かになっていた。

 執拗に追い掛けてくる死人を振り切って、いつまで続くのだろうと思う階段を無心に登っていた。
 体力の方も限界に近づいてきて、時々聞こえるうなり声に、神経を尖らせた。
「このままじゃ、階段でヘバっちまう」
 老人なのに、しっかりした足取りで階段を登って行くカーズに、ゼスは叫んだ。
「何階登ったか覚えてるかな」
 とぼけたように、カーズは問いかけた。
「さあな…」
「次の階で一度降りてみよう。何か見つかるかもしれぬ」
 次の階といっても、これからどれ程登るのか、見当もつかなかった。
「全く… こんな無駄な塔を、どうやって使ってるのかしら…」
「全階は使って無いだろうな。きっと、上の方だけ使ってるんだ」
 ぐるぐると回る螺旋階段が、まるで迷路のように思えた。
 一本の路に枝のように横道があった。
「階じゃ」
 少しの微笑みを張り付けて、急いで登る。
 足音が、そこら中に響いた。
 扉を開けると、そこは意外にも明るかった。
「使われているのか…?」
 石のタイルに、自分の姿が映っている。
 今までは、照明もなければ、人が住んでいるという事さえ忘れてしまいそうな程汚かった。
 カーズが、一つ一つの扉を開けて廻った。
「見ろい、これを」
 木の扉を開けると、そこはまるで別世界のように、本の山がずらりと並んでいた。
「なんだ…ここは」
「本ばかりだわ…」
 呆気にとられたように、ゼスとイズミルは口を開けた。
「使われておるな、この部屋は。つい先刻まで」
 本や石段を、手で撫でて言った。
「埃が…無いな」
「急ぎましょ、近いはずよ」
 身体をまとっていたマントを翻して、部屋を出て行った。
「わしはもう少しここにいる。なに、すぐに追いつく」
 カーズは部屋のものを手に取りながら、振り向かずに言う。
「分かった」
 早足で、ゼスも部屋を出て、イズミルを追った。
 それを横目で確認して、カーズは積み上げられた本を乱暴に崩し始めた。
 焦った様な苛立ちを感じさせるような荒い手つきで部屋をひっくり返す様は、ただの空き巣に近かった。
「何してるの」
 唐突に声をかけられて、カーズは背中をびくりと震わせた。
 ゆっくりと振り向くと、ドアの前にめいっぱい翼を広げたメルランが怒りを露にした顔で立ち尽くしていた。
「ま、魔族!」
 カーズの頬を、生温い汗が流れ落ちる。
「何をしてるの!」
 腕を一振りして、カーズに飛びかかった。
 それを一瞬速くかわして、カーズは訊いた。
「城に現れた子供じゃな?お前の部屋か?」
「そうよ」
 鋭い目で睨みながら、低い声で返す。
「お前こそ、何しに来た」
 腰から静かにナイフを出して、カーズは再び問う。
「黙れ、盗人」
 人さし指を持ち上げ、真直ぐにカーズを指す。
「インパルス」
 ぼつりと呟いた言葉ひとつで、カーズの身体が吹っ飛ぶ。
 堅い壁が物凄い音を立ててひび割れた。
 口から細く血を流し、力なく床に滑り落ちる。
「…忘れ物よ、ただのね…」
 木製の机の上から、倒れた写真立てを手にとる。
 古く黄ばんできてる写真には、幼い子供を腕に抱いた女性が写っていた。

「あれ…?」
 走っていた足を急に止め、後ろから来たイズミルがぶつかりそうになった。
「何、どうしたの」
 顔を上げ、しかめる。
「ほら、階段がある」
 螺旋階段ではなく、上に繋がる階段が、廊下の真只中にあった。
「いかにも、って感じね」
 口の端を釣り上げ、笑う。
「行ってみる?」
「もちろんよ」
 そう言うと、イズミルはさっさと駆けて行ってしまった。
「…嫌な感じだ…」
 一度後ろを振り返り、もう一度上へ伸びる階段を見上げた。
 そして意を決したように、階段を駆け上がった。

 階段は、そう長くはなかった。
 弱々しい照明が天井に点々と伸びている。
「イズミル?」
 照明の下に、人陰があった。
「誰…」
 人陰が一歩、近づいた。
 チェラブだった。
「元気そうね、イズミル」
「せ… 先生…」
 丁度そこに階段を登って来たゼスが声を上げた。
「あんた!」
「顔、覚えていてくれたのね」
 ふふ、と笑って廊下の先を指差す。
「この先の廊下に、あなたの敵はいるわ」
「!」
「私はイズミルに用があるの。あなたじゃないわ。あなたには、ここで死んでもらっては困るの」
 微笑みは消え、真剣な顔が、戻る。
「イズミル…」
 ゼスは困ったように、イズミルの方を見た。
「行って」
 短く言い放って、指を構えた。
 ゼスも頷くと、頼り無い照明だけの廊下を、走り去った。
「これで邪魔なく、できますね」
「あなたは… 私が殺すわ」
 人さし指を一本、イズミルに向けた。
 チリリ、と耳鳴りを起こす。
 冷や汗が流れ落ちる前に、一歩下がった。
 目の前が爆発する。
 辺りが一瞬の光に包まれ、目が眩む。
 刹那、腹に衝撃が伝わり、空を飛ぶ。
「ぐっ」
 受け身も取れずに地面に叩き付けられ、呻く。
 遥か遠くで小さな光がひかったのと同時に、イズミルは防御のシールドを唱える。
 数メートル前で、爆発が起こった。
「こんな魔法じゃ、防げてしまうわね」
 チェラブは両手を差し出して、指が素早く動きはじめる。
 それを見て、イズミルも立ち上がって手を絡ませた。


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