逃げてきてしまった。なぜだかは、自分でも判らない。
(…なんか、嫌だ…避けてるみたい)
 涙が出そうで出ない、曖昧な瞳を閏わせる。
 懸命に動いていた足は、公園の前で止まった。
(やっぱり…ここに着いてしまうなんて)
 初めて凛太と会話した公園。
 初めて凛太と遊んだ公園。
 唯一自分の姿を見れる、という親近感と、他に自分を見ている人がいないという不安から、無性に凛太と話したくなる。
(…凛太に逢いたいな…)
 そう思った時だった。
 見上げていた雲の流れが速くなり、風も体に突き刺さった。
 公園の古ぼけた時計も、長針短針共にぐるぐると回っている。
 太陽も沈んでいく。
 一瞬にして、夕方と化してしまった。

「!」
 丁度、弁当をバックにしまう時だった。
 世界の違和感に気づいたのは。
 教室の時計はぐるぐる回り、入ってきた教師は、忙しなく体を動かしてぱくぱく喋っている。
 周りにいる生徒らも、いつの間にか戻っていて、ノートをとっていた。
(…水音……!)
 こんな事をする人物は一人しかいない。
「何やってんだ!」
 凛太が目指す場所はただ一つ。
 いつの間にか『お決まりの場所』と化していたその公園だ。
 一目散に学校を飛び出すと、そこから少しした場所にある公園に飛び込んだ。
 公園の土で靴を汚した時だった。
 水音が凛太の姿を捕えた。
 凛太の姿を察知したとたん、その『早送り』は止まり、元のスピードで流れだした。
ただし、夜になっていたが。
学校にいた生徒たちは、早送りのまま帰路についただろう。
「は…はっ…はぁはっ…」
 凛太の息は苦しそうに喘いでいた。
「水音!」
 少々怒り気味に叫んだ。
 周りにいた犬の散歩中の人や、カップルが笑ったり、驚いたりした顔で振り向いたが、無視だ。そんなもの。
「り、凛太・・・」
 怯えた小犬のように、上目使いに甘える。
「その『能力』は自分だけじゃないんだ!皆に迷惑がかかるんだぞ!」
「…っ。ご、ごめん…」
 悲しそうに下を向くと、震えた声で言い訳をする。
「凛太に逢いたくて…そう思ったら…勝手に…」
 今にも泣きじゃくりそうな顔を手で覆った。
 まだ幼い水音に怒鳴った事に対して、罪悪感に埋もれた。
「あ、いや…こっちこそゴメン…言い過ぎた」
 少しためらったが、優しく水音の、その淡い茶色の髪を撫でた。
「こんな能力いらない…のに」
 水晶のような涙の粒が、数適地面で割れた。
「何言ってんだ。大切な力だと思えばいいだろ」
 全く言っていることが違うのは、自分でもわかっていた。
 しかし、今はこう言うしかない。
 喋らない水音に変わり、凛太が口を開いた。
「あったって、いいだろ?水音が水音でいれば…」
 そこまで言ってから、後悔した。
 自分は何を言っているんだ、と。
 まるでこれでは、変態じゃないか。
 しかし、水音本人は気にしていない様子で「…本当?」と輝く瞳で見つめられた。
 その力強い光線から逃げられるわけもなく「本当さ」と答えた。
(馬鹿だ…俺は馬鹿だ!)
 何度も何度も自分を責めた。
「今日はもう遅いし、俺は帰るけど…水音の家はどこなんだ?」
 そう何気なく聞いてみた事なのに、水音は悲しそうな顔をする。
「…」
 水音が指した場所は、頭上…もう真っ暗な空を指していた。
「…空?」
「うん、だから私はココでいいの」
 その不可解な言葉を、どう返していいのか困る。
「…そうゆうワケにはいかないだろ…」
 強引に腕をつかむと、そのまま公園から引きずりだした。
「え、ちょっと…凛太?」
 水音が困惑した表情と声で聞いた。
「黙ってついてこいよ」
 その時の表情といったら…誰にも見られたくない顔だ。
 怒りに満ちていて、それでいて優しくて…照れていた。
「…」
 目を丸くする水音。それから、ゆっくりと笑った。
「ありがとう、凛太」

「あれ…?親は?」
 凛太の家に招かれた水音は、その静かさに驚いた。
「さぁ…?多分帰ってこないんじゃねぇかな。今日も…」
「今日、も?」
 凛太の言葉を、もう一度繰り返した。
「ま、気にすんな。好きなだけ居ればいいし」
 凛太の家は、大きいとも、小さいとも言えない、普通の一軒家だった。
 玄関を入ると、短い廊下があって、突き当たりにはドア。
 その横には階段、といった風に。
 突き当たりのドアをひらくと、そこはリビングになっていた。
 無造作にバックを投げ捨てると、台所に立った。
 何をするのか、と水音が考えていると、すぐに判った。
「何してんだよ、座れよ」
 少し照れた風に言い放つと、制服のまま準備しはじめた。
 普段は見えない体を露にして、水音も台所へ近づいた。
「凛太、何か手伝えない?」
 その光景は、まるで妹と兄のようだった。
「いいから、座ってな。テレビでもつけてりゃ、なんかあるんじゃねぇか?」
 照れている故か、目をなかなか合わせようとしない。
 その凛太の姿に、水音はにっこり微笑むと、テレビのスイッチを入れた。
 ヴィン、という機械音で画面が映る。
 番組はニュースになっている。
 そして、椅子にちょこん、と座ると料理ができ上がるのを待った。

「どーぞ」
 テーブルの上に置かれた料理は、決して豪華とは言えないが、とても嬉しいものだった。
「悪いな、こんなのしか作れなくて」
「ううん、美味しそう。料理も上手なんだね」
 水音は箸をとり、恥ずかしそうに笑った。
「…なんでもいいや。先に食べてな」
 無造作に頭をかくと、廊下に出た。
 階段を昇る音がする。部屋に向かったのか。
 相変わらず、聞き取りやすいアナウンサーの声が、機械越しに聞こえてくる。
 水音は、箸を止め声に耳を向けた。
 どうやら、殺人事件がおきたようだった。
「物騒だな、この世の中は」
 いつの間にか、背後にいた凛太がため息混じりにつぶやいた。
 制服から、私服に着かえている。
「さ、食べようぜ」
 乱暴に椅子を引くと、箸をとって茶碗を持つ。
「…テーブルを挟んで、人と食事するなんて何年振りかな」
「何年振り?今まで誰と何処で食事してたんだ?」
 何気なく話した言葉が、凛太の耳を震わせた。
「ん…私は実体を操作できるから、無い時は食べなくても生きていけるの」
「…そうか。まあいいや。食べよう」
 テレビの音声だけが流れる、静かな空間の中、二人は夕食を済ませた。

 水音は凛太のベットで。
 凛太はリビングのソファーで眠りについた。
一言「おやすみ」と交すと、二人は各々の部屋へ入っていった。
 深夜…もう、誰もが寝静まっているだろう。
「お母様、この幸せな日々を終らせなければいけないのですか…」
 凛太の部屋にある、小さな窓から輝ける月を眺め、手を神に祈る形で組んでいた。
「凛太と一緒にいたい…それさえも、望めないのですか」
 強く、手を握り締めた。
『ねぇ、水音。君がどんなに願ったって、思ったって、叶わないモノだってあるんだよね』
 それは、その声は水音の頭に直接響渡っているような感覚で聞こえた。
「あなたは…誰」
 頭を抑え込み、うなだれるようにしてつぶやいた。
『ボクはただの使いっぱしりさ』
「…使いぱしり…お母様の…?」
『そうそう、姫さま。いいかい?君がどんなに好いていようとも、相手がその気じゃなかったら無意味なんだ』
「別に…私は友情とでしか好いていないよ…」
『友情としてじゃないだろ?これは。君は次第に彼にひかれていっているのが判ってる…』
「…そんなんじゃない」
『判ってるんだろ?だったら認めちまいなよ。楽になって…帰ろうぜ』
 その何者かの声は、水音の想いを大きく揺らがせた。
「契約切れまで、あとどのくらい?」
『…あと二日ちょっと』
「それなら…ギリギリまでこっちの世界にいたい」
『…ま、期限が過ぎないならね。ただし』
「ただし?」
 口調の変わった、謎の声に不安感を抱いた。
『君にどんな悲劇が襲いかかろうとも、知らないよ』
「…わかってる」
 そう水音は苦笑して言い放つと、凛太のベットに潜り込んだ。
 安心しきった子供のように、すぐに眠りについてしまった。
 眠りについた水音を確認するような沈黙が過ぎる。
『…ふぅ』
 声の主の姿が現われた。
 褐色の肌に、黒い髪。
『世話のやけるお姫サンだな。まあ、俺の役目は終ったし…』
 痙笑する褐色の肌は、月の光りで不気味に映し出された。

「おはよう、お台所使わせてもらってるね」
 凛太が朝起きたのは、台所から匂う香と、規則正しいスリッパの音でだ。
 目を覚ますと同時に、台所に立っていた水音は気付き、声をかけたのだ。
「あ、ああ。悪いな、寝坊だ」
 引きつった笑いをしたまま、洗面所に足を運ぶ。
 数回捻って出した水を、手ですくって顔を洗う。
 ひんやりとした感触が、凛太の寝起き顔をピリピリと突き刺した。
 手探りで探したタオルで水気を無くす。
 そのままリビングへ戻ってきた。
 テーブルの上には洋食系の朝食。
「ごめんね、あるもので作ったから」
「いいんじゃない?凄いよ、これ」
 歓喜の声をあげると、さっそくとばかりにパンに手を伸ばした。
 バターをつけて、また口へ運ぶ。
 それを見ている水音も、思わず微笑してしまう。
 それが、一時の幸せだったに違いない。
 水音の用意した朝食を、残さず食べると部屋で制服に着替える。
 水音が寝たベットも、綺麗に整えてある。
「水音も、行くか?」
 いってきます、の代わりに言った言葉はそれだ。
 他人の家で、長い間一人にするわけにもいかない。
 見送りに玄関まできた水音の顔が、嬉しさに歪む。
 そのまま、玄関の外に躍り出ると二人は学校へ向かった。


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