遥かなる世界の中で
目を薄く開ける。光がぼうっと入ってくる。……朝だ。
今日も何も特別なことが起こりませんように。
そう願ってから気持ちのよい布団からはいでた。今は何時か時計を見なくても分かってる。俺がいつも起きるのはきっかり6時半と決まっているからだ。
さっぱりとした部屋が目に入る。クリーム色の壁、青いカーテン。同じ色の布団がかかったベッド。いいセンスとはいえないが、俺語のみの部屋だ。
……変だ。なんで急にこんなことを考えるんだろう。。。
今まで16年間、同じ部屋で過ごしてきたというのに…
――――――何かが変だ。どこか狂ってる。――――――――――
今日はいつもと違うと頭の中で考えが自己主張している。
第一、こんなこといつもは考えないから。
―――――――いつもっていつだろう―――――――――――
今日は本当に変な日だ。でもどこがいつもと違うのかそれもわからない。
鼓動がはやくなっていくのが分かる。じっとりと汗ばむ手。頭痛。
階段、そして1階のリビング、洗面所。
鏡を見る。非の打ち所のないといわれた顔。冷たいといわれた目。
「くそっ」
こぶしを打ちつける。
分かった。どこが変か。音がない。
隣の家の歩美の声、ジョギングする近所の人の足音、もっと言えば、車の音。鳥の鳴き声、そういったもの全て。
――――――音がない―――――――
気がつけば外だった。街路樹、道路、風にゆれる草木。
「歩美……」
その名前が自然と出た。今までの多くの事件に巻き込んでしまった。
去年は歩美に助けてもらった。そう、去年の春だった。
麻薬とかかわっている宗教団体《朱緋》を追っていたときだった。歩美がいなければ俺は今ごろ海のそこで死体になっていたはずだ。最終的に朱緋の【神童】と崇められていた工藤一樹は死んだ。今までかかわった事件の中で一番いやな事件だった。
「飛鳥!どうしたの?」
「……歩美!!」
「何よ〜びっくりした顔して」
「いや、別に」
「前の事件のこと思い出してたんだ」
「はぁ?」
「去年の朱緋の事だよ、歩美が思い出したくないのは分かるけど」
「何言ってんの?小説の読みすぎじゃないの?」
「ぼけた?」
「何言ってんだ?お前、あのこと忘れたのか!?」
「な、何ムキになってんのよ」
「夢見てたんじゃないの?」
一瞬目の前が真っ白になった。そんなはずがない、歩美はあの事件を忘れられるはずがない。一番傷を受けたのは歩美のはずだ。そんな、そんなことが……
「歩美、俺去年の春何してた?」
「何って普通じゃない、普通に学校行ってご飯食べて」
「ねぇ、熱あるんじゃない?家に帰ったほうがいいかもよ」
歩美は俺が真剣だと分かって、狼狽し始めた。
「私今日一緒に家にいよっか?」
「独りじゃなんにもできないでしょ?」
「歩美…俺の両親は、」
「何言ってるの!本当に怒るよ!」
「飛鳥のお父さんとお母さんは一昨年交通事故で亡くなったんじゃない!」
半ば悲鳴のような声だった。
交通事故?嘘だ。俺の両親は俺が1歳のときに俺を捨てたままのはずだ。会った事は、いや、会いたいと願った事すらない。
「おばさんもおじさんも優しい人だった……」
声が涙ぐんでいる。その意味を聞き返そうとしたが、やめた。
もはや頭で考える事など出来なくなったいた。
「あゆ
ヒュウゥ
風で木の葉が舞い落ちる。そこに人がいた気配すらない。
頬を撫でていく感触が、そこに残っただけだった。
「こんにちは」
「!」
「…誰だ」
かすかにふっと笑う。
「会うのは初めてですね、飛鳥」
親しげな声だった。名前を呼ぶときは嬉しそうに目を細めた。
「もっとも、私はあなたをよく知っているのだけれど……」
くすくすと笑った。でもどこか悲しげだった。
「ごめんなさいね、」
辺りの風景が一変して別のものに変わった。もはや風景というあらわし方は出来そうにないところだと思った。
「あなたが初めて動き出した、そう、動き出したのは私が小6の時でした」
「引っ込み思案で夢見がちな私は、いつもあなたの事で心を休ませてきた」
「最初は、薄っぺらくて、ぼんやりとしか実態しかなかったあなたも、1ヶ月もすれば強くて、賢くて、それでいて心の広い人となった」
「そういう人物像が出来ていったのは、私の性格からすれば当然だといってよかった…」
「あなたは、私の求めるもの全てを持っていた」
何を言っているのだろう……まるで俺は自分が創った物だと言っているようだ。
いや、実際に言っている。
「今$西暦で何年か分かります?」
今、だと?そんな……いまは、いま………
「1996…」
「1996?」
「いや、1997だったか?」
「……」
こちらを見ないでくれ!!なんなんだ!その目は、
「2001、今年は2001年です」
「平成13年の2月」
「あなたの時間は、私が小6の時から動いていないから」
「まぁ、それは普通だと考えていいんですが」
「うそだ!」
「いいえ……事実です」
「あなたの時間は、
「もう少し、私の話をしましょうか」
「お前は……俺の、この世界がお前の創った物だと」
「そうです」
「ここは私が作りました」
その言葉はすんなりと頭の中へ入っていった。どこかで分かっていたのかもしれない。
この世界は、今完全に止まっていた。
俺の頭が働くのはあと少しかもしれない
「私を殺そうと考えていますね」
正解だ
「無理です、諦めてください」
「“俺は頭が割れるような頭痛に見舞われた、と同時にひざの力が抜け、床に座り込んだ”」
「ぐぁぁ」
「“もはや考える事など皆無だった。今の俺はこの痛みで精一杯だったからだ”」
「ぐぅっ」
「あんまり、良い文とはいえないんですけど……」
読むのを止めたと同時に、痛みは跡形もなく消え去った
「“痛みは跡形もなく消え去った”?」
「言うな…いうなっ」
「ごめんなさい、混乱させてしまったようですね」
「顔を上げて、飛鳥」
「いやだ……」
「私の顔をよく見てください」
「飛鳥」
顔を上げる。まるで操られるように、ぎこちなく
「……歩美」
「ええ、歩美は私と同じように見えるようにしましたから」
「性格は似ても似つかないがな」
「ええ、そのとおりです」
悲しそうにうつむいた。
でもそんなことは関係なかった。憎かった。目の前の歩美と同じ姿をしたものが。
「私を憎んでいますね」
「あぁ」
「でも仕方がなかったんです!」
「私はいつも独りだった」
「独りでさみしかった」
「最初にあなたが動き出した時、言いようのない喜びがふつふつと沸いてくるのを感じました」
「私の世界で、あなた達は何時も光輝いていた!」
「いじめも病気も孤独もない世界であなたはいつも奇怪な事件を解決した」
「羨ましかったんです!そう!」
「でも私ももう独りはいやだった」
「初めて雑誌に投稿したのが中3の時でした」
「最年少での賞受賞」
「私はいくつものマスコミに取材されました」
「でも私が嬉しかったのは、賞でも、世間に認められた事でもない、まして小説の売れ行きがよかった事でもない」
「これで、やっとこの苦しみから開放されると思ったんです」
「やっと、独りじゃなくなる……」
「でも実際は違いました」
「嫉妬、憎悪、無視、いじめ、いたずら、毎日が地獄」
「前の期待は何十倍もの裏切りとなって私に帰ってきました」
今、目の前のいわば俺の【神】は、肩を震わせて泣いていた。
「同情はしている」
思ったより冷たい声が出た
「で、俺とどういった関係が?」
効果は抜群だったようだ。
大きく見開いた目、打ちのめされた顔。
まるで、幼いころの自分を思い出しているようだ。
傷つきやすく、脆くて、少し力を加えれば割れてしまうガラスのように。
「あなたは、私の希望だった」
「でもいつからか、強い憎悪を抱くようになっていた」
「それで、歩美にあんな事を言わせたのか?」
「いえ、あれは、変化を持たせたかったんです」
「今日は、比喩も、風景描写もない文だったんですよ」
「一番初めの事件、『天使の羽』は私が小6で書き始めて、中1でやっと書き上げた物語だった」
「その次が『夜のカケラ』」「一番最近なのが『炎の涙』」
「そして最後が、
「『遥かなる世界の中で』」
「ええ、そうです」「サブタイトルは 〜飛べなくなった鳥〜 」
「どうも、あなたと私が同じだという事を忘れがちで……」
「この話で、歩美は
「そんなことさせない」
「いえ、もう決めたんです」
「この最後の話を書き上げたあと、私は自殺します」
「もう、うんざりなんですよ」
「疲れちゃったんです」「私の世界は」
「どうしてここに来た」
「どうしてでしょうねぇ…」
「しいて言えば、ここに住もうと思ったから」
「ここは本物なんです」
ヒュウゥ
木の葉が頬にあたってコンクリートの歩道に落ちた。
止まっていた世界が動き出す。
遠くの方で小学生が賑やかに学校へと行くところだった。
長い髪が風で顔にかかる。
「今、お前の実態はどうしているんだ?」
「さぁ」
「家かもしれないし、どこか別のところかもしれない、もしかしたら死んでいるのかもしれません」
「歩美は?」
「今は出てきません」
髪を耳にかける。
「彼女はもうすぐ死ぬ」
「死なない!歩美は死なない!」
「俺が守るからだ」
「フフ」
「そのセリフ、私が一番好きなところなんですよ」
「守れないもの……たくさんあるんですよ」
「一樹か?」
びっくりしたように、目を見開く
「そうですね、私があなたのことが分かるように、あなたも私のことが分かる」
「弟の一樹は、私が小6の時エイズで亡くなりました」
「エイズ?」
「あなたが知らないのも無理はありませんね」
「私の弟は献血でエイズに感染しました」
「体の抵抗力をあっという間に奪い去って、そしてさまざまな病気が一樹の体を蝕み始めました」
「おねぇ〜ちゃん」
小1ぐらいの目の大きい男の子が唐突に現れた。
そして、風の音とともに、唐突に消えた。
俺の【神】は、そちらを見ようともしなかった
「一樹に会いたい」
「ここではそれが可能です」
「一樹と一緒に暮らせる、一樹と一緒に遊べる、一樹と一緒にゆうっえっん……」
「う、うぅ」
俺はなにもしなかった。ただじっと見つめていた。
「元のところに帰れよ」
「……」
「かえれっつってんだよ」
「お前がここでどんなに『一樹』を造ろうが、それは所詮ニセモノでしかありえないんだよ」
「歩美も、誰も、絶対に死なせはしない」
「お前もな」
「……!」
「分かってんだよ、全部」「俺が生きてればあんたは死なない」「あんたは俺の片割れだからさ」「いや」「……由美子」
「……」「フッ」
―――――――――――ありがとう―――――――――――――――
ゴオォッ
もしかしたら風の音だったのかもしれない。
どっちでもいいや。
そう、心から思った。
「お〜い!飛鳥!」
「おはよう、歩美」
「何がおはようだ!この馬鹿!とっくに昼だって!」
「は?」
「あたしは病院いってたの!大大大遅刻よ」
「うげっ」
どこかで、笑い声が聞こえたような気がした。
でも、空耳だろうと思った。