ハーロゥ・タナトス 昼休みの出来事


 あの事件、思い出すだけでも奇妙な出来事、いや、奇妙な奴だった。

 ガン!ガキッ!ズシャ!
 けたたましい物音にうつむいて道を歩いていた俺は不意にその顔を上げた。
 何故うつむいていたのか、って?
 まあ、簡単に言えば失恋と言うやつだ。
 自分なりに色々努力してみたんだが彼女のお気に召さなかったらしい。
 そんな気分だった俺の前に飛来した大人一人分くらいの物体。
 まさに俺の真上に落下してきていた。
 校舎裏の街路樹の下を歩いていたのが幸いして木にそれがぶつかる音でいち早く察知する事が出来た。
 俺はとっさに身を捻りそれをかわした。
 何なんだよ一体、こっちは気分が滅入っているって言うのに。
 そう思いながら落下してきた人間大のそれはまさに人だった。
 そう、死んでいた。
 専門家ではない俺にはそれが死んだ状態で校舎の屋上から落とされたのか、それとも落ちてきた衝撃で死んだのかわからなかった。
 死んでいるのは間違い無いと言えるほど首は折れ曲がっていたが。
 とっさに俺はそれが落ちてきたと思われる校舎の屋上を見上げた。
 そこに奴がいた。
 地上から顔を確認する事は出来なかったが白い服を着た長髪の女(?)のようだった。
 自分でも理由が分からないが俺はとにかく校舎の屋上まで走った。
 彼女に振られてむしゃくしゃしてたから八当たりしようとしたのか?…違う!
 自分の上に人間を落としてきたから文句が言ってやりたかったのか?…違う!
 人殺しを捕まえてやろうと思ったのか?…違う!
 理由は分からないがそうしなければいけないような気がしたのか?…そうだ!
 理由も分からないまま屋上まで1分とかからずに着いた。
 バンッ!
 勢いよく屋上の入り口を開けると人を突き落とした(と思われる)奴はまだそこにいた。
 逃げようとする訳でもなく襲いかかってくる様子も無く、ただ立ち尽していた。
 「…やあ」
 感情の全くこもらない声でそいつは右手をシュタっとあげて挨拶してきた。
 「お、おう…」
 マヌケにも俺はいきなりのことに対処できず相槌を打って右手をあげた。
 「君は先ほど下で僕の落とした人間にぶつかりそうになった少年だね。私に何か用?」
 無感情に加え無表情、最初に勢いよく屋上の扉を開けたときも驚かなかったその表情を全く崩さずそいつは言った。
 髪は腰まで届く長い黒髪、顔は近くで見ても男か女かわからないが胸のふくらみが如実に現していた。
 「あれは、同じクラスの瀬田川だった。あんたが殺したのか?」
 どう考えても答えなど一つしかないであろう質問を俺はした。
  何となくそいつは人殺しには見えなかったからだ。しかし、
「そうだよ、彼にはもう生きる資格が無くなったからね」
 と、いともあっさり言った。
「…お前、何者なんだ?」
「私か?私は裁判官だ。もちろん地上のではないけどね」
「裁判官?」
「そう、そして裁判の結果、瀬田川とやらの生存免許は失効した。よって無免許により処した。それだけだよ」
 どう考えても頭のおかしい奴にしかみえなかった。
 ふざけている様子も無いし、むしろその表情は真剣そのものだった。
 いや、相変わらず無表情だったか?
 しかし、色々あって全てがどうでも良い様な気分になっていた俺は面白半分に話を合わせた。
「じゃあ、仮にお前の話が本当だったとして、何で瀬田川の免許は失効したんだ?」
「そんなものは決まっているじゃないか。免許と言うのはある一定のルールを守っていればそれをする事を免じて許そう、と言うものだ。ルールが守れなかった、ただそれだけの事さ」
「俺の知っている瀬田川は認めたくないが容姿端麗、文武両道、性格温厚、三点拍子揃ったような奴だったぞ」
 俺のセリフに対し明らかに嘲りを含んだ表情でそいつは言った。
「人間って言うのはね、表面をよく見せようと努力する生き物なんだよ。故に自分が表面しか見てない事に気付いてない。哀れだよね」
 さすがにその言葉にムッと来た俺は言った。
「何でもお見通し、見たいなこと言ってるけどお前に何が分かるって言うんだよ」
「わかるさ、ちゃんと見てるからね、例えば君、名前は?」
「…一歳直哉」
「イチトセナオヤか、変わった苗字だね。聞いての通り私は君の名前を初めて聞いた、けど君のことがわかるよ。君は最近、偽りの自分で失敗しただろう」
「なっ…。」
 いきなりの事に俺は声を詰まらせた。
 確かにその通りかもしれない。
 嘘の自分で彼女を繋ぎ止めようとして結局ご破算だ。
「何でわかるんだ?さっき、地上のではないとか言ってたけど空から見てたとか無しだぜ」
 自称裁判官は困ったような顔をした。
「こまったな、その通りなんだけど。まあ、敢えて言うなら今の君はとても素直に自分を表現している。先日の経験が無意識の内にそうさせているんだろうけどね」
 相変わらず困った表情だったが、言われた俺は少し恥ずかしくなった、彼女にもそんな事は言われた事がなかった。
「そ、そうか…?」
「そうだよ、これからも素直でいなよ。私はそのほうがいいと思うから」
 そう言って彼女は背を向けた。
「そろそろ時間だ。地上の人間とこんな風に話したの初めてだよ。私にとって人間は殺すものでしかなかったから…楽しかった」
 そして笑った。
「最後に二つ聞いていいか?瀬田川は何で免許が執行したんだ?」
「嘘のつき過ぎ、君も気を付けなよ」
「じゃあ、もう一つの質問」
「なに?」
「…また会えるか?」
「………」
 無言のまま彼女は屋上の入り口のドアまで歩いていった。
 立ち止まり振りかえる。
「それはわからないけど、私はまた会いたいって思ってるよ。……またね直哉君」
 そう言い残してドアの向こうに消えた。
 慌てて追いかけて見てももうそこに彼女に姿はなかった。
「またね……か」
 俺は屋上に戻るとコンクリートの上に大の字に寝転がった。
 ある昼休みの出来事だった
 空が青かった。 
「名前、聞いときゃよかったな…」
 俺は小さくそう呟いた。
 不思議と気分は晴れ晴れしていた。


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